いちばん長い日
楽しみ事をひとつづつ潰していった。
本を読むこと、映像を観ること、音楽を聴くこと。他にもたくさん。
充分に楽しめず、悲しいのか悔しいのかわからない思いをするのが嫌になったから。
その日暮らしのような気分で、日毎、家族が無事に眠りにつけたら良しとしている。
ただ、今日は。
‘将棋界の一番長い日’だから、符号と駒音を聞きながら過ごしている。
解説がありがたい。
わくわくしながら、脳内再生している。
自分に楽しみを許している、数少ないことのひとつだ。
NAOTの靴
数年前、サンダルが欲しかった。
通販サイトで見つけた革のサンダルに一目惚れした。
半月位、毎日サイトを確認し、使用イメージを検討したのちに購入した。
当時は働いていたので、多少我儘な買い物ができた。
NAOTのOLGA。
つま先と踵が隠れるデザイン。
ソールは厚め。似合う足を選ぶ品だと思う。
革の変化はどんな経緯をたどるかな。
少しだけ、革を守るためクリームを塗っておこう。
着脱に手間がかかる仕様だが、それでいい。脱ぎ履きの動作も、運動のうち。
(後に、スナップボタンに変更できることを知る)
そうして、大事に履き続けてきた。
毎年、ブーツと入れ替わりにサンダルの出番がくる。今年ももうすぐ。
大事なもう一足、MALMO。
わかりやすくいうと、野暮ったい。
スリップオンで、サイドにはゴム。
でも私には合う。絶妙な足幅。
アッパーの革のシワも、履き続けた故のつま先の傷も、ぼろ靴に見えないよう保護クリームを塗る。すり減ったかかとは補修した。
とある葬式に参列する際、車で移動しなければならなかった。
式ではパンプスを身につけるのだが、運転する時は違うものをとMALMOを履いた。
斎場まで色々な思いがよぎったが、足元の安心感が、安全運転につながった気がする。
この靴を見つけるまでには、ビルケンがいいかな、、と思っていた。
遠慮なく履ける革靴として。
だが、販売店で試着すると、
「あれ、なんだか、合わない。見た感じも似合ってない。コーデもナチュラルダボダボの恰好以外想像つかない。」と思った。
定番かつおしゃれさん御用達の品が、私には合わなくてがっかりした。
似合わないのは自分のせいなのに。
そこで、ビルケン以外を探し始めたところ、NAOTに出会うのである。
OLGAを見つけ、履き心地に納得したあとMALMOも手に入れた。
どちらも、まだまだ履き続けていく。
大事な靴については今後も認めておきたい。
月兎印 キャセロール19cm【使いきり】
月兎印の琺瑯鍋は使いやすい。
重くなく、必要な厚みを有している。
キャセロール19cmは具沢山スープや簡単な煮込み料理、時には炊飯にも使った。
蓋の形状的に、水滴が溜まり滴りやすかったので、別なものを合わせていたが、とにかくお気に入りの道具だった。
使いはじめて8年。
鍋のフチが小さく欠けてしまった。
洗浄後はすぐに水分を拭き取り、使い続けた。
そのうち欠けの部分からヒビが生じていた。
それでも同様に使い続けた。
あるとき、鍋の内側も欠けているのを見つけた。数ミリ、表面が剥がれてしまっている。
そのとき「これの代わりは無いのに」と思った。
同じものを買うつもりだった。
しかし、同時に強い拘りを持った自分に気づく。有りもので間に合わせる適当さを身につけたい。
思い返すと、学生時代から月兎印のスリムポットを使っていた。あれは注ぎ口を割ってしまって、ショックで次を買わずじまいでいた。
見るたびに、コレクションとしても持っておきたい品なのだが。
色展開も豊富、素敵な形。ステンレスのもある。
でも今は、見るだけ。
コンロはIHだし。コーヒー飲みたいときはPanasonicのコーヒーメーカーを使うし。お湯を沸かす薬缶もあるし。
代わりの道具は、ある。
出番の少ないステンレスの両手鍋。
大きめで、あまり使われずにいたもの。
使われないと、道具が死んでしまう。
少しの寂しさはあるが、まずこれを使っていこう。
実際に、代用品が駄目なら同じのをまた手に入れればいいと自分を納得させる。
、、、と思っていながら買いそびれてしまったシリットの話はまたいつか。
さて、家にある月兎印はミルクパンのみになってしまった。
これもほぼ毎日使っているし、お気に入りだ。
だが、いつか手放すときには少しでも身軽で柔軟な思考でいたい。
この1年、我慢していること
コロナ禍での変化、とするならば。
我慢の限界を試している。
その名は、外食’できない’チャレンジ。
つまらない話かもしれない。
だが、外食がレジャー扱いだった私には、その機会がほぼなくなり、残念な気持ちと共に過ごしている。
コロナ云々でなく、乳幼児がいる時点で、ある程度の制限は覚悟していた。
例えば、、、
ラーメン店には、子どもが5歳になるまで行かない。子どもを介添しているうちに麺がのびてしまうから。他にも細かい理由あり。
寿司店、焼肉店などは、子どもの食べられるものが限られていて、こちらも細々と気遣いも必要になり難しい。
上の子が小学校高学年だが、この子が小学生となり、ラーメン店のカウンターに座って、ほぼ一人前の量を食べていたとき、これからは外食が気軽にできると思えて嬉しかったのを覚えている。
しかしながら、この1年においても夫と上の子はタイミングを見計らって外食に行くのである。
、、、家族に我慢はしてほしくない。
だが、我慢している私は除け者にされてしまった気分になる。
この矛盾が自分を苦しめている。
チャレンジ、チャレンジと言い聞かせてやり過ごす。
乳幼児の食事は気遣う点が多いから。家で作ったものが安心だし。家にいたら安全に過ごせるのだから。外食行って、周りに気遣って、子どもの様子を気にしての食事はとても難しい。
私の我慢のもとに平穏が成り立つなら、今はそれでいい。
不自由さを、日常とすること。
この1年で変わったことである。